12 九州
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 五月十七日と二十三日の閣議の決定のあと、舞台は九州の生ワクチン緊急投与へと移った。その具体計画は二十七日頃かたまる予定だった。厚生省は一挙に忙しくなったが、現地の九州の空気にはかなりへだたりがあった。九州の生ワクチン投与をぜひとも成功させねばならぬ。五月二十三日午後一時半、私は熊本行きの急行「西海」にとびのった。勝負はここ一週間だ。
 その頃、熊本は二、三日気温の低い日が続いていた。熊本県衛生部浜崎衛生部長は憂欝な日をすごしていた。今日までに県下の患者は一四七人。一県の衛生部ではどうにもならない限界以上のエマージェンシー≠ェ突然に襲ってきたのだ。ワクチンは足りない。注射量の減免額を決める階層区分もなかなか中央からおりてこない。どこから仕事をはじめたらいいかわからない。そうしているうちにポリオはますます拡がる。陳情々々と、世論は県だけを責める。気温が低ければせめてその日のポリオの発生が少ないかと、神頼みする気にもなる。切ない日々であった。
 今日はまた東京からNHKの記者がきた。もう三、四日後、九州の生ワクチン投与計画が、政府から発表されるはずだという。だから放送キャンペーンにかけつけたと自己紹介する。記者の名前などどうでもいい。いつでも地方の県はつんぼさじきだ。役所もマスコミも、東京は地方にただ押しつけるだけなのだ。−−−−いらいらしながら部長は記者に応待した。
 「五月一五日現在で二歳以下のワクチン接種率が、県全体で三一%という低さだそうですね?」
 「六月中には九〇%に持ち込みますよ。六歳以下までいれて」
 「しかし問題はソークワクチン体制そのものの不安ですね?」
 「いや、ワクチンは二回やれば十分ですから七月からは減ります」
 「七月からでは遅い。流行期は六月からと見るべきではないですか」
 「いや、七月からです!」
 双方とも少しむっとした。
 「二回で十分という根拠は?」
 「厚生省でもそう言明していますし、新聞にも出ています」
 「新間ですか」
 「・・・・・・」
 「良いいい方ではありませんが、熊本では流行の見通しが甘く、対策が遅れたのではないかという見方が厚生省にありますよ」
 「いや、最善を尽してました!」 ワクチンも十分にないのに。で、中央では何をすればいいというのですか。あとは神様にでもなることですな」
 浜崎部長は横を向いた。
 生ワクチン投与の話どころではない。鼻白むような空気が流れる。困りはてた表清の衛生部員がとりなすように、そばから口をはさんだ。
 「生ワクチンの投与もいいと思うんです。だが、町村にしてみれば今あるソークワクチンの方を使ってからでなければ、第一手がまわりまっしぇん」
 実態がそこにあった。衛生部長を責めても仕方のないことではあった。
 生ワクチンに救いを求めねばならぬ事態を、衛生部長もほとんど理解はしていた。その成功は全国の子供たちへの生ワクチン一斉投与の突破口となるものだ、とも理解する。
 しかし現地の困難はまた別だ。外からきた者にわかるものか。浜崎部長は砂を噛むような気分を味わった。
 記者も後味が悪かった。タクシーに乗る。城が見える。
 「いいお城だね」
 運転手はすぐ答えた。
 「こげん城は日本一ですもんね」
 西南の役で焼失した加藤清正の熊本城の復元には、二億門の巨費が投じられた。五〇〇〇万円の私財を一人で寄附した人もあった。まさに、肥後藩の面目であろう。
 小児マヒも今、日本一なんだがとたずねてみる。困り果てた顔がミラーにうつる。
 「ばってん、どぎゃんも仕方なかですもんね」
 
 県衛生部がどんなに突き放していようと日数はない。生ワクチンの日がやってくる。熊本での生ワクチンの勝負に、今後の全面生ワク切替えへの一大転機をつかもうとしてかけつけた私にとっては、これからのキャンペーンをどう展開すべきかが最大の問題だった。だが熊本県下のポリオのことは何ひとつわかっていない。熊本大学小児科の貴田丈夫教授はどうみているか。
 「浜崎部長は私の後輩で、真面目にやっとるんですが、辛いところなんです。元気づけてやって下さい」
 温顔の教授であった。
 「県下を足で歩いてみるより仕方がないでしょうか」
 「そうでしょうな。今のところは何も調査はできておらん。流行期は全国的に見れば六月からですが、熊本の場合は統計的にいって五月からと考えるべきです。今年は今まで例のない多量のウイルスが県下に蔓延していると考えております。ソークワクチンの効果が出てくる前に大きい流行がきてしまったと見るべきでしょうね。このままではポリオの発生率は当分下がるとは考えられません。しかし、県下の実情は本当のところ全くわからんのです。よく見てきて下さい」
 五日間しかなかったが、実情調査に私は熊本の野村巌記者と二人出発した。
 「野村君、君が熊本のミスターポリオになるんだよ」
 「県下の処女調査ですな」
 二人はかたく握手した。
 熊本市は人口三十六万。本来の基準では保健所は三カ所あるのが当り前なのに、実際には二カ所しかない。市民病院が手助けしているのが実情。
 普通の予防注射の場合、市内には四十七カ所の会場を設けるが、ポリオは医師と冷蔵庫の余裕がないのでそれができない。
 そこで市民の八○%以上は、乗物を使わないと予防注射ができないことになる。ワクチン接種率が上がらない理由がここにあった。
 そこで(つる)さんという老係長は名案をあみだした。熊本市医師会と相談して、三歳から上の子供たちの予防注射を市内の開業医に委託する方法を考え出したのである。ワクチン原価の二六四円(保健所ではこれに七円の手数料を加算する)、これに医師の手数料三十六円を認めて三〇〇円とする。払う方とすれば差し引き二十九円高くなるが、バスや電車代でも二十円はかかるのだし、病院なら注射前に予診もしてもらえる。それに、病院なら近いだけでなく夜でも行ける。まさに名案であった。これに参加することになった開業医は一六二人。市民の評判は非常に良い。兄弟でくる場合は、一人が三歳以下でもこの方法で注射を認めることにした。
 さんは忙しくなる。医師からワクチンの受けとりにひっきりなしに人がくる。さんは時代ものの太い万年筆で、医師の名前とアンプルの数をていねいに書きとめては、机の傍のぴかぴかと光る白い冷蔵庫からていねいにワクチンを取り出す。
 「六月は、流行期ですから、それまでと思ってがんばっています。なにしろ一人七円の雑費で、ハガキの印刷代から脱脂綿、注射針まで出すのですから予算が苦しいのが当然です。それより人手不足ですな。料金徴収や母子手帳の整理などは、ここの職員の奥さんたちに手伝ってもらって間に合わせています。そりゃあ、大変ですがね。残業なんか問題じゃありません。こんな大事な仕事はないと思います。私は満洲からの引揚者で、この年になってから故郷でお役に立てるのは、やり甲斐のあることだと思っとります」
 熊本市内に関しては市医師会の協力も合わせて、市民の生ワクチンヘの参加はかなり高くなるだろう。要は生ワクチンの安全さと投与の手順をきちんと下ろすこと。それに何よりも保健所にさんのような人がいれば大丈夫だ。
 廊下のつきあたりで、若い母親がうろうろしていた。
 「この子、あと半月で満三歳なのですが、二回目の注射をした方がいいんでしょうか」
 なるほど、こんなことがわかっていない。保健所員と間違えられた記者はうんと親切にいった。 
 「ええ、ぜひ注射をなさって下さい。保健所ではそういうふうにお勧めしています。それに来月になれば生ワクチンも飲めるようになるんです。注射じゃなくて飲む方ですね。小児マヒはね、もう恐くないのですよ」
 
 熊本から南へ二〇キロの田園都市、下益城郡小川町は、人口一万七〇〇〇。田んぼの中に役場がポツンと立った感じの町だ。衛生モデル地区として県下に名が高かった前の年、熊本県の国体で両陛下がこの役場にこられた時は役場を中心に一キロ半の円の範囲は、堆肥を全部取り除き、役場の中は逆性石けんで洗い上げた。それほどの町である。
 もとよりポリオに対しても関心は高かった。
 はじめソークワクチンが足りない間は町民の苦情はたえない有様だったが、五月半ばまでには六歳以下の接種率が一〇〇%という大変な成績を上げた。ところがだ。ここにポリオがそれも他の町より多く発生したのである。よりによって小川町に五人も出た。しかも、小川町の中でも最も衛生的な亀ノ町で患者となった二人は、実はワクチン接種を二回まで済ませていたのだ。わからないと誰でもいう。保健所員はそのワクチンのロット番号や注射した医師の名前までメモしていた。不安は深い。 
 いったいにポリオは、衛生環境が向上すると自然免疫をうる機会が少なく、高い年令でもかかるようになる。水洗便所の数が多くなるほど、かえって成人のポリオの発病が多くなるのが特徴といわれている。いわゆる文化病理論である。この田園町にそんな文化病現象があらわれたのであろうか。役場の便所は確かにきれいだった。
 役場の玄関の人口の木造りの長椅子に着物を着た二十五、六歳の青年が腰かけている。その足のまがりぐあい、その細さ。ポリオだ!
 青年の年令からおして、今から二十数年前ここにポリオの流行があったのではないか。ここには、かなり前からポリオウイルスが土着して、そして周期を繰り返す。わずかのソークはまるで歯が立たなかったのではないか。
 小川町でも予算と人手不足は当然の悩みだ。小使さんがハガキ代を節約して通知を持って歩く。郡の婦人会から下田かね会長らが名簿作りの協力を申し出た。熱心な町である。ここには正しいPRと共に生ワクチンが届けばいい。
 八代市は熊本県下第二の都市。人口一〇万四〇〇〇。工業都市として活気がある。港もある。明治いらい干拓をして拡張してきた土地のため大部分は排水がよくない。ここでは一月以来十五人の患者が出て、三人が死んだ。多発地帯である。
 この市の予防係長三島啓一さんは、実に真面目な人であった。八代市では考えられる限りの手は全部打ったといってもいい。予防接種の会場は市内の学校、公民館など二〇カ所も設ける。医師会と連絡をよくとって出番を作ってもらう。子供をもつ親にわざわざ通知を出すことよりも、会場をよく周知することに力をいれる。会場では三歳以下の子供と六歳以下の子供に窓口を分けておいて、誰が来ても注射する。名簿の整理などはあとでやる。こうでもしないと予防注射は七〇%からどうしても上へはいかない、と三島さんは経験を話す。
 ここでも一番困るのは低所得層だ。住民税が免除であるので注射代も無料なのだが、かえってこの人たちが三〇〇人中まだ二〇人しか注射を受けていない。親が働きに出ていて子供をつれてくるひまがないことや、会場へ着せていく服装のことが問題になるらしい。
 「これには、こちらから出かけて行くより方法はありません。それには注射はまず無理です。飲むワクチンならねえ」
 と三島さんは嘆く。生ワクチンならいいわけだ。
 ここに意外なことがあった。旧八代城主の家柄、松平家のK子夫人が三十五歳で去年の十二月ポリオで亡くなったというのである。去年の秋から流行が続いているので、同じウイルスの波に違いない。松平家は熊本の細川家の城代家老の家柄で、K子夫人は細川家から嫁がれた。文字通り深窓に育ち深窓に生活した夫人が、三十五歳まで自然のウイルスによる免疫を受けずにいたのを、不意に強力なポリオウイルスに冒されたとみるべきか。まさに三十数年ぶりの猛威といえるだろう。
 日本三急流の一つ球磨川をさかのぼって、その下り舟の出る所。すでに宮崎県境に近く熊本のチベットといわれる山奥の町、人吉市。人口は四万七〇〇〇。ここでも八人の患者が出ている。県下で一番衛生思想の遅れたところという悪評である。
 ポリオという名前を耳にして、中年婦人がけたたましく笑い出した。方言で尻の呼び名と同じだというのである。. ポリオ対策が弱いことの最大の理由はここでは市の財政の苦しさだ。全県的に去年の国体に無理な浪費をしたことが影響を残していることは共通していた。その国体でソフトボールの会場を引き受けて人吉市はおおいに努力した。好評であった。そこへ養老院が焼け、緊急支出が必要となって市財政はぐっとつまった。このため予算上は、例の予防接種一番手の一歳半までの接種を見送らなければならない状態となった。いったんワクチンの割り当てを断わったのだが、県からの再度の勧奨があり、ついに専決処分で、もう一度予防接種をおこなうことにふみきったという複雑ないきさつがある。珍しい例である。
 この市では、三月いらい衛生課長の席が空席になっていた。観光課長から衛生課長にまわされた人が左遷だと怒って退職してしまったのだと革新系≠フ人がいった。普通なら栄転であるポストが観光都市のこの市では逆になる。これでは怒るのが当り前だという市民もあった。それはともかく、この時期に衛生課長を空席にしておくのは困ったことだと保健所では批判した。その保健所の所長室の、壁いっぱいにかけられた伝染病発生一覧表に、ポリオの欄がなかった。
 所長はそれに答えてこういった。
 「今まであまり知らんかった病名ですもんね」
 おりから市議会が開会中。
 たまたまポリオについての決議案が提案されていた。
 『逐年多発の傾向にある小児マヒの予防接種については、種痘その他の伝染予防接種と同様義務実施として、その費用は全額国庫負担をもって行なうよう法制化を要望する。
 右決議する。
  昭和三六年五月二七日
             人吉市議会』
 全議員が署名し、あす泉議長が上京して国会文教厚生委員会に陳情するという。
 県下で初の決議である。これまでの一番の遅れから一挙にトップに立ったというところだ。
 煙をふく阿蘇のふもと、海抜六〇〇メートルの町。やはり村といった方がよさそうな阿蘇郡高森町。一万三八○○の人口が差し渡し七里、一七四平方キロの中に散在している。農業と林業だ。ここに三人の発病がある。
 篤実そうな那須総務課長は
 「お陰様で本町にはまだ一人も発生がありません」
 といった。野村記者がノートを繰った。患者の名前を口にすると課長はびっくりして手をあげた。
 「その名前は全部本町の者です。どこで発病していたのですか」
 役場へは届けないで熊本の病院へ行ったらしい。
 「そうだとは知りませんでした。よくお教え下さった。これ以上出さないように全力を尽くします。ワクチンさえあれば、場合によっては全員無料で断行します」
 赤銅色の総務課長は身じろぎもせずそういった。
 「実は私は戦前東京におりましてね。製薬会社に勤めて六十五円の月給でしたが、このうち三十円が長男の医者代でした。昭和十年の夏、この子が小児マヒにかかりまして、風邪のあと足が立たなくなりました。当時はワクチンなんていうものもありません。池袋病院で見てもらったらなおっても動くようになれば儲けものといわれました。迷信だとは知りながら不動様へ伺ったら西の方へ行って医者にかかれということで、その方角の医者のところで電気マッサージをしていたら、十五日目で立ち上がりました。きっとがよかっただけだったんでしょうが、あのままだったらと思うとぞっとします。息子は今ポンプ会社のサラリーマンで元気です。今はワクチンがあるんですからさいわいですよ。ええ、生ワクチンの話は聞いております。学問が進んでよい薬を使うのは大変結構ですね。はあ? 根絶ができるんですか。私も息子の足が曲がらずにすんだことの恩返しに、自分の町だけでも一生懸命やりますよ」
 総務課長の訥々と語る昔話はよかった。今は学問と政治が、この町役場まで手の届くような努力さえすればいいのだ。「テレビも新聞ももっと啓蒙して下さい」という注文もひと言。
 そのとおりである。
 古びた町役場の窓からは、煙をふく阿蘇山がするどくそがれたようた姿で見える。それはこれからのたたかいの象徴のように、二人の記者には思われた。
 
 五日間、駆け足で熊本県下を廻ってみた感じでは、「熊本での勝負に成算あり」という印象だった。熊本の場合は、昨年の北海道大夕張のように狭い一つの地区に爆発的にポリオが集中したのではなく、県下全体から発生しているだけに、大流行の割りに世論の盛り上がりのあらわれにくい理由もあった。特に恐怖の強さとは逆にポリオについての知識が非常に低いことに問題があった。しかし
 「ああ、その話はテレビで見ましたよ」
 という例は多かった。それに生ワクチンについて、親たちの間には役人や学者の中にあるような不安はなかった。困難はあるがこれから一カ月、三十五万人分の生ワクチン投与まで徹底的な世論の喚起に勝負をかけてみる可能性はあるだろう。キャンペーンは、第一にこの夏のポリオ大流行の危険について。第二にワクチンの正しい知識について。第三に生ワクチンでポリオの根絶が目前にあることを正確に打出す方針を確定した。
 それから後三カ月間、熊本のポリオとのたたかいは素晴らしかった。熊本放送局には若い野村記者を中心に熊本ポリオ班が生まれた。彼らはこれからの運動を集中キャンペーン≠ニ名づけた。放送局中がグラフになった。ガリ版の作業からの積み上げであったが、県下の全患者の実態調査、各地域ごとの母親の声のアンケート、ワクチン接種率の調査やワクチンの見通しなどあらゆる調査が徹底的に進められる。それらを包みこんでローカルポリオニュースや番組が矢継ぎ早に送り出される。二人の記者も見てきたばかりの熊本県下の流行の現状を、ラジオでテレビで細かく報告する。五月二十九日午後三時の「テレビロータリー」は私が東京へ帰る発車二時間前、小淵アナウンサーとの対談。小淵アナウンサーも猛勉強を積んだ表情で、鋭く巧みに問いかけてくる。
 「熊本県の今のポリオの流行は去年の北海道と比べて、もっと危険だと思うんですよ。熊本中ポリオウイルスでいっぱいともいえる。ところがこの病気は大流行といっても一つの村で何十人も出るわけではないから、なかなかピンときにくいところがある。熊本県下の流行の情勢を説明して下さい」
 そこで地図とグラフで説明することになる。このまま行ったら、とても去年の大夕張どころではないのだ。
 「こんな流行になるまで国も県も何をしていたんだという声は強いんですよ」
 そこで生ワク協議会の努力を紹介する。
 「生ワクチンというのは、ナマ、生きているウイルスですからね、こんなものを飲んだら体の中でポリオウイルスがあばれ出すのではないか、なんとなく不安な感じもするんですが、こりゃ、大丈夫なんですね?」
 そこで胃袋の絵までマジックインキで書いて説明することになる。
 「毎年毎年こんな騒ぎをしていたら大変なことです。熊本中の子供たちが生ワクチンを全部飲めば来年から不安がなくなる。根絶ですね。それが出来るんですね、生ワクチンなら?」
 今こそチャンス。単に流行阻止を狙うのではない、根絶なんだと強く呼ぶ。
 「そうすると今までのソークワクチンもとにかく続ける。そこへ早く生ワクチンをみんなで飲む。二重に予防の着物を着る。そこで数年後には根絶というわけですね」
 小淵アナは怒ったような顔で迫った。真剣なねがいをかけた番組だった。手でサインを送るプロデューサーも、カメラを廻す技術者も、みんなの熱気がスタジオの中にうずまくような時間だった。急いで顔のドーランを落としながら、私は五日間一緒に歩いた野村記者の肩を押えた。
 「もう四週間だ。たのむよ!」
 若い野村は、にっこり笑って不敵にうなずいた。窓から熊本城が見える。
 「東京のポリオチームに熊本名物の朝鮮飴を持っていって下さい」
 「お、そうだな」
 ほんの二、三分、立ち寄った朝鮮飴の売店の娘さんに声をかける。
 「小児マヒの流行をどう思う?」
 「こわいわ」
 「新しい薬が配られるの知っている?」
 ちょっと小首をかしげる。
 「あっ、わかった、生ワクチンね」
 (その通りだ)とうなずいて包みを一つ買う。おかしな野郎だなと思うだろう。二人の記者は顔を見合わせてにっと笑った。
 
 
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