13 一〇〇〇人突破
ポリオはついに東京で発生した。
東京足立区大谷田町での爆発であった。
六月四日、五歳のN子ちゃんがポリオと診断されたのにつづいて、七月までに一歳のY子ちゃんと二歳のM哉君がポリオとわかった。大谷田町は中川と葛西用水にはさまれたところで、一帯は低湿地で小さい道が入りくみ、それに網の目のようなどぶ川が並んでいる。民家は密集。ポリオにかかった三人の家はいずれもどぶ川のそばにあり、それぞれ二〇〇メートルも離れていない近さであった。厚生省の基準では、同じ町内で二週聞以内に二人以上の発生をみる場合には「集団発生地域」とすることになっていた。
「すわ!」
と保健所員が駆けつける。子供は隔離病院へ。
「小児マヒがどっと出た!」
という不安の情報が耳から耳へと風のように走る。不安な親たちは子供たちを自分の翼の下にかかえ込んだ。人混みの中に子供を出さない方がいいという親の知恵で、幼稚園の子供が目立って減った。道路で遊ぶ子供たちの姿が見られなくなってしまった。
ポリオ流行の勢いは、六月一日当日の発生が十三人。全国総計は七七二人で、うち死亡六十八人。そのうち熊本は本日発生四人で総計は一六三人。六月五日は当日発生二十人で、総計発生八一三人。初めて八○○台を越えた。週間発生は一〇〇人台に達し、一日平均十五人の発生となった。六月七日全国のポリオ発生は八四六人。もう誰の目にもソークワクチン体制の敗北は明らかなことであった。しかも、東京についに患者が出たことは、事態を急速に追い込んでいく条件となった。
キャンペーンはここをせんどと攻めまくる。世論は直線的に燃えはじめていた。
厚生省へは連日マヒ脇の母親たちの陳情が続いていた。公衆衛生局長室は、母親と乳児たちの体臭でむんむんしていた。
「母親は子供を生むのに十カ月かかります! やっと子供を生んだらまず手足があるかと心配。五体健全だと聞いてはじめてほっとするんですよ。それなのに、この頃はどうですか! せっかく無事に生んだ子を毎日手足が大丈夫かと心配して、おちおち眠れません! 朝起きると、朝起きるとですよ、そっと子供の手足をさわってみてほっとするんです。これわかりますか! 早く生ワクチンを出して下さい! こんな心配ってあるものですか!」
激越そのものの口調であった。
部屋の暑さに泣き出す子供の声。厚生省側も汗をふきながら、
「厚生省としても全力をふるって努力をしているんです」
「ソークワクチンの最大の準備をしたはずでありました」
「生ワクチンは、さまざまな検査や学問的な研究が必要でありますので、ことは人命にかかわることでありますから、目下学者の先生方にお願いをして研究を進めていただいております」と説明する。
厚生省側が一言二言話すたびにその数倍もの激しい声がはね返っていく。
「だって子供は、毎日見えないウイルスに追いかけられているんですよ!」
「いつまで待っていたらいいんですか!」
「あなた方には子供はないんですか!」
「だって、外国じゃとっくに済んでいる研究じゃないですか!」
「九州で飲ますものが、どうして東京じゃ飲ませられないんですか!」
「生ワクチンがアメリカではできないから困るんですか!」
製薬会社から文句がつくからじゃないでしょうね!」
話に結論が出るはずのものではなかったが、陳情の波は日を追うてますます激しくなっていった。
この時、学界、つまり生ワク協議会は何をしていたのか。九州地区への三十五万人分の生ワクチン実験投与の決定は、実は学界には相談なしの政治決断であったから、生ワク協議会に対しては事後承諾という形になった。生ワク協議会はその三週間半後に迫った九州での生ワクチン実験投与を、厚生省側の頼みを容れて協議会の手でおこなうかどうかについて、まだ意見がまとまらない状態であった。
政府としては、生ワクチンの一部緊急投与を世間に発表し、すでにイギリスから三十万人分の生ワクチンが到着し、それをさらに飛行機で九州まで届けているというのに、どっこいその親元が決まらないのであった。厚生省にも生ワク協議会にも、それぞれの立場はあった。厚生省にしてみれば、法律上の医薬品としてはソークワクチンしかない建て前だし、それもつい先頃法改正を認めたばかり、だから生ワクチンは役所が真っ向から使うには工合が悪い。ぜひ生ワク協議会が学問の実験≠ニして使ってほしいと申し入れたわけ。ところが生ワク協議会の立場も簡単ではない。協議会が引き受けている実験は例の魔法瓶の四七〇〇人分。研究能力からすればこの実験を来年の春までかかって消化するのが精いっぱいのところで、それ以上の実験≠ヘとても責任が持てない。それに実験≠ニいう言葉は、しょせん、いい逃れで、四七〇〇人分ならともかく、三十五万人投与となればすでに実験とはいいがたい。防疫行政として当局が責任を持つべきだ、というのは正論であった。
末端へ行けば、どのみち保健所と市町村がやるのだから、この問題は双方の面子だけだともいえるのだが、お互いに火中の栗を拾いたがらず、六月一日に開かれた生ワク協議会の幹事会はその結論を出せずに終わってしまった。それどころか、この日の幹事会では、生ワクチンについての根本的な学術調査をおこなう必要があるとして、六月末から学術調査団をアメリカ、ソビエト、カナダ、チェコスロバキア、西ドイツ、イギリスの六カ国に派遣することを決定し、さらに調査団の氏名まで確定した。団長柳沢謙(国立予研)のほか高津忠夫(東大教授)甲野礼作(京大教授)川喜田愛郎(干葉大教授)釜洞醇太郎(阪大微研所長)中野稔(国立予研)六反田藤吉(熊本大教授)高部益男(厚生省)の八人の各氏だった。目の前にポリオの大流行の危険の横たわる夏を控えて、生ワク協議会のこの決定は大変緊急性を欠いているが、実は協議会の内部にはそうでもしなければならぬ事情もあったのだ。というのは、生ワク協議会の数十人の権威の意見は、実は、この時生ワクチン投与そのものについて完全には一致していなかったのである。例えば、熊本大学の六反田藤吉教授は強い慎重論者であった。六反田教授は五月三十日の熊本市小児マヒ対策本部の会議の席上、およそ次のような四点をあげて、生ワクチンの一斉投与に直ちに賛成はできないと主張した。
一、生ワクチンに他のウイルスが混入している危険がある。
二、免疫のできにくい特殊の体質の人が飲んだ時にはポリオにかかる可能性がある。
三、生ワクチンは飲んだ人の腸内でどんどんふえ、排泄されて周囲の人に次々に伝播するので、そこからポリオが発生する危険がある。(毒性復帰説)
四、投与量その他の投与方法を間違える危険がある。
六反田発言は、慎重派として一つの見方であったし、このような意見が決して一人ではなかったことから、協議会は統一見解をまとめるわけにはいかなかった。それ以上に六反田発言は、特に三十五万人の生ワクチン投与を間近かに控えた地元熊本の関係者に大きいショックを与えた。熊本県当局はこれでは投与にふんぎりがつかないという。みえない混乱が一日、二日続いた。熊本ポリオ班から東京ポリオチームへのテレタイプは、激しい調子でその間の事情を伝えた。
「コノママデハ、マエニススメヌ、ロクタンダハツゲンニツイテノ、キホンケンカイオクレ」
甲野教授、平山博士らの意見はこうだった。
「生ワクチンに他のウイルスが混入するというのは検定の精度の問題であり、すでに安全性の確認を得ている。少なくとも投与上の問題ではない。特殊体質や毒性復帰の問題は理論的にはかねて論じられていることだが、諸外国の例からしても実際上全く問題が起きていない。投与方法を適正におこなうことはもとよりであるが、生ワクチンは万一適量を誤っても問題はない。つまり、これらの問題は生ワクチン投与に反対する理由にはならない」
また、多くの学者の意見の中には六反田見解の真意は、二、三年前から教授が熊本市内でつづけている生ワクチン実験が、大量投与によってデータが失われてしまうことを恐れてのものだという非難もあり、いや、それくらいの慎重さこそ生ワクチンには必要だとする意見も一方にあった。
記者の一人は吐きすてるようにいった。
「しかし、まあ、ここまできてずい分突込みの浅い話だ。今日も患者が出ているんだ。三十五万投与をどうするんだ。つまり学者はどうしろというんだと、世論は聞くべき権利があるよ」
ポリオチームは学者に対してハッキリした結論を求めることを決意した。熊本で学者の討論会を開いたらどうか。少なくともこの賛否に焦点をしぼった番組を一本すぐ作ろう。犬の遠吠えの時期ではない。
「ロクタンダケンカイ、スミヤカニコクビャクヲツケル、ポリオチームハ、ガクモンニセキニンヲセマルケツイ」
生ワク協議会の幹事会も意見調整に必死になった。結局、六反田発言にあらわされる意見は、大なり小なり学者の間にある慎重論を表わすものであり、異なる意見は生ワク協議会の中で消化しようということになった。
海外調査団の派遣は、学者がそのためにスジを通すということで有効な解消策となった。八名の中に六反田教授の名前もあった。
生ワク協議会が結局従来の接種部会、製造検定部会、マーカー試験部会、病理部会の他に、新たに「疫学部会」という別な機関を新設し、九州の三十五万人の生ワクチン投与を引き受けることに決定したのは六月十二日のことであった。これで三十五万人の生ワクチン投与は、熊本・福岡両県の六歳以下の子供全員を対象に六月二十六日からはじまることが、ようやく本決まりになったのである。
六月に入って、患者の数が八○○人台を越したということは、一つの区切りであった。
六月五日で八一三人。一日で平均十五人。一週間で一〇〇人ずつ患者が増えていくという趨勢だった。全国の子供を襲う黒いウイルスの魔の手のひろがりをポリオ日報が正確に捉えていた。
八○○台を越した六月五日現在で県別発生数を多い順に見てみると、熊本一七〇、福岡九六、東京六七、大分五五、鹿児島四一、山口三八、次いで北海道、宮崎、群馬、静岡となっている。
この流行の中で各地でポリオと取り組む姿勢が目立つようになってきた。三重県久居町でも連日発生が相つぎ、六月五日、町としては全国初のポリオ対策本部を設置した。つづいて群馬県太田町にもポリオ対策本部ができた。
六月九日、厚生省は
「今年の流行は昨年を上廻る戦後最高のものである」という見解を発表した。その見解は今や正しい。しかしここであえて皮肉にいえば戦後最高≠ニは少し力みすぎた感じがある。今年の流行だけが特にとびはなれた大流行なのではない。ポリオの流行についての本当の戦後最高≠ヘ、はじめて、みんながこんなに真剣にポリオに向かって立上がったということだ。
熊本県当局もこの日、三十五万人の生ワクチン投与の受け入れを決定したのである。
翌十日、熊本ではソークワクチンが底をついた。熊本ポリオ班の連絡を、ポリオチーム中継で防疫課へ。早速特別機でやりくりのソークワクチンが熊本に送り込まれる。去年とは逆に北海道の三台の鉄の肺が飛行機で九州に運ばれた。
この日、羽田空港にインド航空でソビエトのメディックスポルトから生ワクチンの原液が到着した。T型〇・四リットル、U型〇・五リットル、V型〇・六リットルの計五万人分、早速予研へ送られる。生ワク協議会は、タダでくれるなら生ワクチンを実験用には使ってもいいという意見が強くなっていた。
十一日、長野で開かれていた日本高等学校教職員組合の定期大会は十三歳以下の子供全部に生ワクチンを飲ませる署名運動をはじめることを決めた。この日、ついに唯一の処女地富山県にもポリオが発生した。新川郡上市町の四つの坊や。これで日本全国、全都道府県に拡まってしまったことになる。この日の当日発生は二一人。総計はついに九〇〇台を突き破った。
熊本では当面ソークワクチンの不足が深刻であった。熊本郊外の西合志村にある施設「少年の町」のジョージ・ベラス園長が熊本局に依頼の手紙をよこした。
「ぜひこの子供たちにもワクチンの注射をさせたい」
すぐ熊本大学に話を持ち込む。大学にあった手持ちの最後のワクチンが「少年の町」に送られることになった。ワクチン接種には正式な医師の立ち合いが必要だ。熊本大学の好意のワクチンと若い医師を乗せたポリオ班の車が「少年の町」に乗りこんだ。
ベラス園長がありったけの日本語で感謝の気持を表現した。
「ココロニアリガト。タマシイニアリガト。ヨロコビノ、フカイ。四二ニン、イッパイアリガト」
入梅まえのむしむしする毎日だった。ポリオは高まる世論と競い合うようにして、母と幼児を脅かしていた。
勝負どころであった。
ポリオチームは、あらためて現在の流行の意味とこれからのキャンペーンの方向について考えるべき時期であった。
「五万人のポリオが出なければ社会は動かぬのか。その十分の一でも社会は動かねばならないか。その問題についてはハッキリ結論が出たと思う。社会は、いまポリオの恐怖を軸として盛大な自乗運動を起こしている。政治も学問も、もう揺らいでいる。これからは、生ワクチン一斉投与に向かってどこでどんな勝負をするか、それだけがキャンペーンの責任だ」
この意見に異論はなかった。
「そこで、どれくらいまでいくんだろう」
「秋まで五〇〇〇は下るまい、というのが正確な線だな」
「その意味でいえば一〇〇〇人の大台に達するところが勝負の線だろう。流行期からいってもそれ以上は遅らせられん」
「一〇〇〇人はいつ?」
「あと一週間」
「一〇〇〇人突破の危機感を最大に世論に訴えることだ。これを抵抗線にしよう。この線を見すごしてこれ以上患者をふやすわけにはいかん」
「それをもって生ワクの一斉投与にもちこむことができるかどうかだね」
「そこで生ワク切りかえができなければ、もう今年はヤマのチャンスはない。キャンペーンの負けだ」
「よし、それでいこう。具体的には、一〇〇〇人突破で全国的な流行の危機感を鮮明にして生ワクキャンペーンに切り替えだ。九州の三十五万をぜひ日本中に、という主張をハッキリ前に出す。世論が味方だ。その力で学問と政治に迫るのだ。全国一斉投与は一七〇〇万が理想だが一二、三〇〇万でもいい。輸入先はソビエトしかないだろうから、政治色で叩かれないよう注意しよう。一〇〇〇人突破当日をめざして徹底的にニュース番組の足並みを揃える」
それで決まった。
もはや世論の理解には自信があった。
流行論に関する限り、年間数千の患者発生では世論は動かないというこれまでの防疫行政の常識は打ち破られた。世論は今年のポリオを未曽有の大流行としてみて、そのたたかいに立ち上がった。正確にいえば流行が未曽有のものであるよりも、流行だとみる目が未曽有のものであったのだ。これを人工流行≠セとはっきりいう学者があった。「その程度なら平年並みだ。特に騒ぐに当たらない」と。たしかにそのとおりだと、むしろ胸を張ってこたえたい。年間数千の幼児が手足の自由を失い、死に至るという由々しき事実が平年並み≠セからと見すごされていたことの方が、はるかにおかしい。人工流行≠ヘまさしく成功したのだ。世論は何年も放っておいた当り前の流行にはじめて気づいて立ち上がったのだ。
しかもキャンペーンはこれまで無目的に恐怖のみをあおってきたのではない。今こそこの高まった世論をもって生ワクの登場を促し、やがて永久にポリオの根絶へと進むのだ。
一〇〇〇人突破≠ヘ、力のすべてをこめて流行阻止へ、根絶へと鐘をうつべき二年越しのヤマ場であった。
一〇〇〇人の日を六月十八日と計算する。集中番組のスケジュールを全国に流す。ポリオチームはそのまま長椅子に仮眠する泊りこみに入った。
本来なら巨象NHKの全力疾走を、わずかに数名の記者の相談で決められるはずのものではなかった。局全体が異常であった。世論とともにあつい炎に燃えながら、その仕事甲斐が放送局中を包んでいたのだ。いつも世論とつながり合っていると考えたから、実は意外に孤独感のなかにある放送人たちにとって、世論と共にひとつの目標に向かって叫びあうことのみずみずしい反応は、目をみはらせるほどの喜びであった。
すべてのニュース、番組は一〇〇〇人突破に向かっていっせいに目をむけた。
十三日、東京都は足立区大谷田町を「ポリオ流行地」に指定した。都内初の処置である。朝から町一帯のいっせい消毒がはじまった。千住保健所から十五人、大谷田町の自治会から二〇人、エンジンスプレー二台をはじめ手動スプレーを全部動員して、網目のように入り組んでいる用水、溝などを消毒してまわる。臨時予防接種法の発動でソークワクチン接種の期間を短縮して直ちに三回の注射を無料で済ませる。子供の年令も六歳までひきあげる。大谷田町一帯にはみえない熱風が吹いている感じであった。
総評の岩井事務局長は厚生省を訪れ、ソビエトから送られた五万人分の生ワクチンの書類を手渡した。
「一刻も早くこの生ワクチンを活用してほしい」
ところでポリオの東京襲来よりもっと突然に、この日から新聞各紙はいっせいにかつ爆発的にポリオの流行を書き出した。「大谷田町にポリオ流行」の記事は各紙ともほとんど社会面のトップ五段抜きの扱いであった。なぜ急に大きく書き出したのか。それよりもなぜ今までは書かなかったのか。その神経が解しかねる。新聞社も一〇〇〇人突破におびえたのか。とうとうたまりかねて書いた感じであった。
たまりかねたといえば、翌十四日朝九時から総理大臣官邸で開かれた全国知事会議でポリオ対策が重要な議題となり、強い三点の要望で政府をつきあげた。
◇ ソークワクチンの予防接種を六歳迄引き上げよ。
◇ 国産ワクチンが不足なら、直ちに緊急輸入せよ。またワクチンの検定能力を高めよ。
◇ 九州だけでなく集団発生地域には生ワクチンを使用せよ。
容易ではない事態になった。
厚生省では、この日も午後から公衆衛生局・薬務局の合同会議が開かれ、ワクチン対策について深刻な議論が交された。
「このままでソークワクチンを主体とするポリオ対策をつづけていくためには、六百万回分つまり六千リットルのソークワクチンが必要だと計算されますが、今の供給見込みはざっとその半分ほどでありまして、緊急輸入しか方法はないと思います」
「しかし当面の流行対策に使うには、輸入ワクチンは直ちに間に合わないことになりませんか」
「従って例えば、輸入ワクチンに頼る限り、時間のかかる検定を省略するというような非常手段をとらなければ、役に立たないのではありませんか」
「それでは検定を義務づけている薬事法との関係は、きわめて問題になります」
ついに結論が出なかった。
大谷田町からはもう一人のポリオ患者が入院した。三つのK夫君。
東京都は午後の緊急会議の結果直ちに「小児マヒ予防対策本部」を設置した。異例のことである。全国総計は九六五人。カーブはぐんぐん上がる。一〇〇〇人突破は、十六日中と判断。ポリオチームはあらためて連絡を全国に流した。
十五日、「指定地域大谷田町」で朝からはじまった予防注射をめぐって、深刻な騒ぎが起こった。三カ所の会場のうち、対象者の一番多いのは墨田保育園で、九〇〇人分を用意していた。十時からという掲示なのにワクチンが足りないのを心配して、午前五時から母親たちが集まりはじめ、十時にはもう長蛇の列。あまり多いので調べたところ、隣接の町内の人がかなりいることがわかった。マイクで「本日注射を受けられるのは大谷田町の人だけです」と説明したが、列から抜ける人がいない。さらにマイクが繰り返すと、
「危険は同じじゃないか!」
くってかかる人たちに保健所長は取りまかれ、声をからして説明するが、一向にラチがあかない。とうとう全員が行列を解いて所長らを取り囲み、
「何とかして下さい」
「お願いします。子供は、皆同じではありませんか」
と口々に叫びはじめる。保健所側も母親たちと足りないワクチンの板ばさみに汗をかきながら、うろうろと同じ説明を繰り返すばかりだが、炎天下に疲れ果てた母親たちが、汗だくで頼み込む姿は真剣そのもの。中には、泣きわめく子供を抱えてとうとう道路にしゃがみ込んでしまう人もいる。保健所長もただ茫然とするばかり。連絡を受けて都の防疫課長が駆けつけたが、今度は人垣が防疫課長を同じように取り囲むだけ。マヒ協の宣伝力ーが駆けつけて黄色い声で演説をする。収拾のつかない混乱になってしまった。結局厚生省からも係員が駆けつけて話し合った結果、隣接の町内には近日中に厚生省が責任をもってワクチンを保障することになった。
ようやくその人たちが引きあげて注射が始まったのは、すでに正午を過ぎていた。同じ千住保健所管内で大谷田町と四キロ離れた新田町でも、この日二人の患者が出た。東京都では新田町も「流行の恐れある地区」と指定し、新田町の消毒をはじめた。
熊本のたたかいは最高潮であった。医者と県職員とアナウンサーと記者をのせたポリオ巡回車が全県を廻っていた。この日は阿蘇地方をまわる巡回車に呼応して自衛隊機が自発的に協力し、二十万枚のビラを空からまいた。
厚生省では昨日の会議に続いて、アメリカとカナダからのソークワクチン緊急輸入について検討をはじめていた。
この日の総計は九九一人。
明日の一〇〇〇人突破は確定的であった。
ニュースの仕事は非情である。明日もまた二十人ほどの子供が生涯、足や手の動かなくなる運命を背負うことになるのを正確に計算して、予定原稿を書く。
明日は午後五時のニュースから夜にかけて、一〇〇〇人突破を精力的に全国に訴える。全国集計の日報の締切りは、十六日午後四時に決定する。十六日、朝七時の全国ニュースから予告ニュースが流れた。
「今日中に小児マヒ患者が一〇〇〇人を越えることは確実となりました。
カーブが六月に入って急上昇していること、それは去年を越える史上最高のポリオ流行の傾向であること、ここ数日、特に関東地方に患者が増えているのが目立つこと。今年の患者の平均年令が高いこと、などの解説記事がつづいて出る。
NHK報道局全体に異様な緊張が流れていた。午後三時すぎ、窓口の通信部から大友記者が小走りに駆け抜ける。
「東京三人です。熊本は三人出ています」
いよいよ一〇〇〇人!
予定どおり鉄道が開通したとか、登山隊が山の頂上を征服したとかいうニュースではない。予報通りに子供が一〇〇〇人も病気に罹りました、という恥ずべき正確さ。
キャンペーンを進める者の勝負の根性とは別に、キャンペーンの中味が足の萎える子供の数を正確に数えているのだという複雑な罪障感。感傷に近い思いが何回も胸にひびく。ついに一〇〇〇人か! 午後四時までの集計は二十一人。総計はこれで一〇一二人となった。
一九六一年(昭和三十六)六月十六日。NHK午後七時の全国ニュース。
『全国の小児マヒ患者が一〇〇〇人を越えました。今年の小児マヒは冬の間から各地に発生しはじめていましたが、NHKの調べによりますと、流行期の今月に入ってからは目立って患者が増え、この一週間に一三一人。今日一日だけで二十一人の患者が出て、全国の患者数はついに一〇〇〇人を越し、一〇一二人になりました。
小児マヒが特に多いのは熊本の一九八人をはじめ、九州地方で全国のほぼ半分を占めていますが、このほか東京、大阪、群馬、静岡なと全国各地に患者が出ています。また、今年の小児マヒの特徴としては発病者の年令がかなり高いこと、症状が重いことで、予防接種をしたもので発病した例も少なくありません………』
チャイムが鳴って、そのあとローカルニュースが、緊急対策下の東京と大谷田町のこと、神奈川県庁に婦人会が三七〇〇人の母親の署名を集めて生ワクチン使用の陳情をしたことなど、各地のポリオをめぐる話題がぎっしり。編集デスクの意気込みもうかがわれた。
その後さらに二人の患者が追加され、夜までに十六日中の総計は一〇一四人になった。今日一日の発生は全国で二十三人にものぼったのである。午後九時の全国ニュース。
『NHKの調べによりますと、今年の小児マヒ患者は今日で一〇〇〇人を越え、一〇一四人になりましたが、ワクチンの予防接種は全国的にかなりまだ遅れています。NHKが今月十五日現在でまとめたところによりますと、義務接種の対象となっていた生後六カ月から三歳迄の幼児に対して、二回目の予防接種を全体の半数以上済ませたところは、秋田の七九%を最高に岩手、広島、和歌山などわずか十六都道府県で、他の県は流行期に入った現在でも三〇%から四〇%といった状態です。特に今年、もっとも小児マヒ患者の発生している九州の熊本、福岡では現在四三%という低い率で、なかでも、すでに七人の患者を出している熊本県の人吉市では、今月の初めになってようやく一回目の接種をはじめたほどで、それも七一%にとどまっています。
しかし小児マヒに対する関心は流行期に入るにつれて高まってきており、今年八人の患者を出した三重県一志郡久居町は、はじめ一歳半以上で六〇%という低い率でしたが、患者が相次いで出たので急に関心が深まり、三歳から六歳までの臨時接種分を含めて現在では九五%に達しました。
一方、肝心のワクチンは、二回目の接種分を持っているのは佐賀県を除く九州の各県と大阪、京都など十六の府県にすぎず、その他の都県では手持ちのワクチンが次第に乏しくなり、今後いつ入荷するか見通しがつかない状態で、厚生省に対して急いでワクチンを配給するよう伝えています・・・・・・』
ニュースとしては、やたらに数字の多い異色の内容であった。しかし精いっぱいの調査を、一〇〇〇人を越える子供たちの犠牲にむけて、ここでぜひとも世論の奮起を生ワクチン投与に結びつけようという強い願いが、ニュースの文章にも、読みあげるアナウンサーの声の中にもこめられていた。
一〇〇〇人≠ノ焦点をしぼる戦術はマスコミの知恵であった。一〇〇〇人突破≠境に、世論はうなりを生じて高まってきた。東京都は積極的に生ワクチンを使う方針を決め、厚生省と折衝をはじめた。神奈川県にもポリオ対策本部が設けられ、県の費用でガランタミンまで買い入れた。それを貧しい家庭には無償で配るという。ポリオチームヘの照会も増えてきた。
北海道庁や静岡県庁などから全国データの借用依頼が入り、ビンビンと響く感じでポリオへ、生ワクチンへと世の中が燃えていく高まりがあった。
六月一七日(土)、大垣市で中学教員の妻が、登校できない小児マヒの四男を絞め殺して自分も自殺を図った、と新聞記事が大きく扱う。ポリオではなく脳性マヒなのだが、それが小児マヒという言葉で大きく報道される世相である。夕刊では『全国で一〇〇〇人突破』 『小児マヒ一〇〇〇人を越す』と各紙いっせいに四段から五段のトップ。横見出しもある。
「厚生省が十六日現在の小児マヒ患者を十七日正午発表したが・・・・・・」
それがまる一日おくれた夕刊に出るというのは、例によって、昨日の一〇〇〇人突破のデータを、厚生省が今朝ポリオチームから持ち帰って、正午に記者発表をしたからだ。「各紙はきたねえな、厚生省に日報の新聞発表はお断わりだ、と釘をさすか、とポリオチームの中で勝ち誇った冗談も出た。だが、それは決してケチな特ダネ根性などではなかった。役立つことの喜びであったのだ。
このデータをもっと役立てるためには、今後のポリオについて、正確な見通しを明らかにすることが大切だ。十年間の統計を調べれば、六月中旬までの患者の発生数は、年間発生数の五分の一〜六分の一にあたっている。このまま行けば、今年中に五〜六〇〇〇人の患者が出る計算になる。そこが世論に訴えるポイントだろう。分析資料を今晩中に各地に発送しょう。今晩は徹夜になる。
外はおそくまで池田総理訪米反対の提灯デモが都心を練り歩く。明朝私鉄ストが予定されて、中労委藤林会長の職権斡旋が緊迫した情勢の中で続いている。NHK報道局の大部屋は、いろいろなネタをかかえ、にぎりめしを食いなから緊張の雰囲気の中に朝を迎えた。われわれも負けずに大きいにぎりめしを頬ばった。
世論はもはや完全に生ワクチンのみを待つムードであった。六月十九日、厚生省には一日中母親たちの陳情が続いた。厚生省の扉が開く早々にマヒ協の代表二十人、次は昼前に八十人、これは民主医療機関連合会の代表。昼すぎにはマヒ協の東京都協議会の代表三〇○人。厚生省の正面玄関にバスで乗りこんだ。玄関から廊下にかけて、子供連れの母親たちでいっぱいになる。「生ワク」というカードを首にかけた坊やもいる。守衛さんたちもアカハタのないこの集団には、手のくだしようもない。カン高い母親たちの声に子供の泣き声、応待の局長課長連も、汗だくで休むひまがない。その答弁が親切でないと興奮した人たちが、厚生省側の高官の一人のベルトをつかんで会場に連れて来るという殺気だった一幕まであった。厚生省全体に熱気がただよっていた。
熊本は今日で二〇〇人を越えた。(二〇二人)
尼ケ崎市にポリオ対策本部が設けられる。秋田県湯沢市が流行指定地域になる。
東京のポリオは七十九人。都の対策本部は、今日初の会合を開き、大谷田町と新田町、それにその周辺地区の六歳以下の子供五〇〇〇人に、この二十六日から生ワクチンを投与すると決定した。東京杉並区宮前町の会社員Y氏夫人K子さん(二十九歳)がポリオと診断され、隔離病院に入院した。
時の動き≠フ青木プロデューサーが確実な足どりでやってきた。
「いよいよエース登板、剛速球で勝負の時だね。哲ちゃん、今晩出番だよ」
「うん、相手は?」 「高部さんだな」
夜の「時の動き」のタイトルは小児マヒ患者一〇〇〇人突破
よし、今晩は番組の中で決して微笑をみせまいぞ、と私は思った。
「六月中旬に一〇〇〇人を突破したとなると、統計的にいっても、今後の見通しは非常にきびしくなりますね?」
高部防疫課長もかたく応じた。
「かなりの流行になるとは、いえるようですね」
「数字の上で、もう少し具体的に説明していただけませんか」
「過去十年間の統計では、六月中旬までの患者の数は年間の発生数の五、六分の一です。まあ一概にはいえませんが、ここまで進めば年間で五、六〇〇〇人になる危険がありますね」
「今一〇〇〇人は、今年で五、六〇〇〇人。この見通しは極めて重大です。ポリオ対策はこの見通しにそって明確にたてられるべきです。今や思いきった緊急措置の時期ですね?」(生ワク≠ニいわせたい!)
「その通りです。厚生省も今後にむけて努力しています」(どうも冷たい)
「今後といっても、すでに流行期の真最中ですからね、ソークで間に合わないことは、はっきりしている。ということは、ずばり生ワクチンですね。九州で三十五万人分も使うのです。今や全国で生ワクチンにふみきらなくてはならないと思いますが?」
「流行地には生ワクチンが適切であるというのは、すでに学問上の結論です。厚生省もできるだけ前向きに検討していますが」
「ということは、生ワクチンの全国一斉投与ふみきりは、近いということですか」(答えてくれ!)
「非常に重要な問題です。なお検討の段階です」
「くどいようですが、その検討の結果は近く出るということですか」
「努力しているところです」
「うーん、世論としては、努力というのがわかりにくいことでしてね。私の感じでは、政府と学界がお互いに自分では勇気がないので、相手にそれを求めているように思えますね」(これでもか!)
「学界も大いに努力されています。生ワクチンの問題は学問的な判断が先行すべきですから」
「学問的な判断が前提となるのはいうまでもありません。われわれのキャンペーンもその立場です。ただ、それならば日本全体ではなくて、九州だけに生ワクチンが使われるということの学問的な判断がよくわからない。安全性に不安があるなら九州でも使えないはずです。九州の三十五万が安全なら、一千万がなぜ不安か。厚生省や生ワク協議会が一千万生ワク投与を渋っているので、逆に一番手の九州では生ワクチンの安全性への不安が消えません。ここのところに学問的にはっきりした説明がいります」(少し遠回しにいこう)
「九州三十五万の生ワクチンは、十分に検査したものを使うのですから、その心配はないはずです」
「学問的にもおかあさん方に大丈夫だと(強く念を押す)安心してもらっていいんですね?」(ここは逃がさんぞ!)
「学界の先生方が十分に保証しておられるんですから、厚生省としてはそのように確信しております」
「そうすると高部さん、生ワクチンはそのように安全だ。それなら、今九州だけではなく全国的に拡がっているポリオの流行阻止のために、日本中の子供たちに千万単位で、思いきって生ワクチンをいっせいに使う、という方針をとるのが当然な判断だということになりますね? (えい!)
「厚生省としては、連日慎重に検討を進めているのです。できるだけの措置をこうずるつもりです」
「厚生省の、ポリオ対策の指揮官として、公式にはまだいいきれない立場もあるでしょう。だがここでいえることは、ながいことポリオと取組んできた防疫課長のあなた、それに私たちは今、何としてもポリオ撲滅のために最大有効の手段を、勇気をもってこうじなければならないということですね」
「ええ、私としても全力で、その決意です」
聞き手としては、全国的な生ワクふみきりを、たとえ高部課長だけの願いとしてでも、何とか引き出そうと切り込んだつもりであったが、もう一歩獲物をつかみきれない不満を残した。
高部課長もその切り込みを十分にわかっていながら、公式なマイクロホンの前でいいきれないもどかしさを、もやもやとふっ切れずにいるようであった。
放送局の玄関で、高部課長はぐっと振り向いた。
「今日、一日中の陳情でしてね。実はあれで作業が遅れたのがほんとなんです。このままじゃいけません。私はやる気なのです」
陳情への役人らしいうらみも少し感じられた。だが弁解よりは、強い決意があった。抑えつけるように課長はさらにいった。
「ドシャをかけなければいけません。上からドシャですよ」
その後の質問は勘弁をしてくれというような風情を見せて、彼は素早く車に飛び乗った。いっしょに立っていた青木プロデューサーがうなる。
「ドシャ、か。ドシャってなんだろう?」
「ひょっとすると、やる気だよ。荒療治」
「ドシャ。ナマかい?」
「そう思う。追ってみよう」
六月二十日には、あと五日後に迫った九州の生ワクチン投与のため、八万人分の生ワクチンを持って、東大の松本稔教授らが羽田から福岡へ発った。生ツバをのむような表情をした数人が松本教授を囲んだ。教授は、
「こんな時期ですから、私は本職ではないのですが、何かお役に立ちたいと思って行きます。どれくらい飲んでくれるかということが問題ですよ」といった。
熊本のキャンペーンが話題になる。だれもがいうようにそれはすばらしいたたかいであった。
熊本県衛生部もすっきりキャンペーンにふみきっていた。六月ひと月は県とNHKの「ポリオ撲滅月間」であった。ポリオ巡回車はすでに三週間、県下の半分一〇〇〇キロを踏破した。巡回車は辻々でポリオの話を繰り返し、これまでの県下のポリオの発生状況や、ソークワクチン注射の現状を説明する。そして、
「間もなくポリオ根絶の決め手となる生ワクチンの投与があります。これはすべての子供たちがもれなく飲むことが必要です。そのことによって今年だけでなく、将来にわたって小児マヒの恐怖から解放されるのです。生ワクチンは全く安全なすぐれた薬です」と説明をし、質問に答える。
青空のもとで、野良で働く人々に呼びかけ、夜の座談会で、NHKが急いで作ったポリオ映画を上映し、母親と話し合う。農協の有線放送にはアナウンサーがマイクを握った。知事の声やポリオの予防番組を録音したテープも有線放送局に寄贈した。
「生ワクチンを飲みましょう」
「小児マヒから子供を守りましょう」
「ポリオを日本からなくしましょう」
放送は、ラジオ、テレビとも一日三回「ポリオ情報」を送る。すべての番組は一日中可能な限りポリオに向ける。
「生ワクチンだ。ポリオ根絶だ」
その番組を一人でも多くの人に見せようと、予告ポスターと立て看板を、県下の市町村や幼稚圏、保育園に配っておく。集金員がビラを、特に幼稚園の家庭めがけて入れて歩いた。自衛隊の協力で、空からもポリオ予防のビラをまく。
六月一日からこれまでに放送されたポリオキャンペーン番組は、ラジオ六二本、テレビ二一本、ニュース一四七本、このほか、スポットテロップは毎日随時。使ったビラは二万五〇〇〇枚、ポスター六〇〇〇枚、看板六〇枚。予告した町辻には、早くから巡回車を待つ人の姿がみられ、予想外に質問が多いため、途中から予定の一力所三十分を一時間に延長した。「予防の集い」の開催は十六カ所、毎回五、六百人の聴衆でうずまった。お蔭で夕食をとるのが十時より早いことがない。叫んでいるだけでは弱いと、ポリオチームは熊本大学と協力して、大学手持ちのワクチンを各地に運んでは、遅れた予防注射を促した。たくさんの質問がNHKポリオ相談所に殺到し、それを放送で答える一方、必ず本人あてに速達便で返事を出した。私はつい昨日届いたばかりの野村記者の報告文を教授にみせた。
「もはや輪は回り始めた。われわれの努力を重ねれば、熊本のポリオは完全に追放しうるという確信のもとに、放送部員は非常勤務についている」
「非常勤務って涙が出るなあ」
「がんばってきますよ」
松本教授はタラップをのぼった。
熊本の諸君がんばってくれ。世論は、ほらこんなに燃えているじゃないか。励ましの声を託する思いで、生ワクチンを積んで青空へ豆粒のように消えていく飛行機に向かって私は祈った。
その日の総計一〇八九人。さらに急増の気配であった。
六月二十一日水曜日。兵庫県の坂本知事から厚生省に、
「至急ソビエトの生ワクチンを輸入して、ポリオの予防に万全を期してほしい」と要請が入る。午前十時すぎ、武蔵野市にある古井厚生大臣の家には、近くの母親代表二十人が生ワクチンの陳情に押しかけた。大臣は出かけた後であったので、母親たちは夫人に会って「よろしく頼みます」といって引き揚げた。
突然にその夕方、ほんとうに突然に厚生省は一三〇〇万人分の生ワクチンの緊急輸入の決定を発表したのである。
思いきった、でかいニュースであった。そのうえ、記者も、マヒ協も、業者も、医者も、だれにとっても全く予想しない突然のあわただしい発表だった。尾村公衆衛局長が内容を読み上げる。
『今夏のポリオ流行に対する研究対策として、すでに実施しつつある流行地域に対する予防接種の繰り上げ実施、検査済み生ワクチン三五万人分の試験投与等に加えるに、今般、次の通り緊急対策を講ずることにした。
(1) 千万人分以上の弱毒生ワクチンを緊急に輸入する。これを必要最低限度の安全検査ですみやかに供給できるよう措置する。
(2) 全国のポリオ流行防圧のため、必要な子供に対しその父兄の希望に応じて供与できるようにする。』
『研究対策について・・・・・・しかるに昨年に続いて今年は、かつて見ない異常流行の兆を見ており、しかも三〜六歳の年令階層にも相当数発生する兆があるので・・・・・・現在における差し迫った流行の実態は台風災害の如き事態と推量されるので、この非常対策として今回に限って未確認の要素がありながら、専門家の意見を徴して生ワク投与を受ける者の自発的な希望に基づいて実施し今夏の流行を阻止せんとするものである。緊急の生ワクチン投与は次のものを対象としている。
(1) 本年七月一日現在において三歳以上六歳未満の者。四六三万四〇〇〇人。
(2) 本年七月一日現在において生後三カ月以上三歳未満の者。四百三十九万九〇〇〇人。
(3) 基準以外の流行地または流行の恐れある地域の六歳以上十歳未満の者。二四五万三〇〇〇人』
大ニュースであった。二十数人の記者は騒然と立ち上がった。つづいて記者クラブには、いかにも急いだという証拠のようなガリ版刷りの古井厚生大臣談話が届けられた。
『事態の緊急性にかんがみ、専門家の意見は意見としても、非常対策を決行しようと考えた矢先、これらの方々もこのことに理解の態度を示してくれたことは何ほどか私を勇気づけた。責任はすべて私にある・・・・・・』
首をかしげたくなるほどに、誰にも異例な文面であることが感じとれた。「きっとさし迫った事情があったのだな」とみんなが思った。舞台は意外なテンポで大詰めの場を迎えた。むしむしと汗ばむような夏の夕暮れであった。ニュースが大きく街に流れ出して行った。
<第3部 危機 終わり>