18 われ一粒の麦なれど
 
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 映画脚本家松山善三氏は、このポリオ騒動に鋭く触角を動かしていた。
 「これだけ大きい社会行動、これは映画家の見逃してはならないものだ。しかもこの大きな波のうねりの奥に、もしナマズが一匹いたとしたら?」
 彼一流の発想であった。興味の動くテーマであった。
 たまたま彼は、東京映画の椎野英之プロデューサーと、サラリーマンもので「君にも何かができる」というシリーズで何本か手がける企画を進めていた。平凡そのものにみえるサラリーマンの心の奥に、日頃満たされずに眠っている何か、それが突如として火山のように噴き上げて、思いもかけぬ大仕事をやりとげる。いかにも松山氏らしいテーマだった。それがナマズなら面白い。
 「この大騒ぎの奥にね、必ず誰かがいると思うのだよ、動かしている男が。それをつかまえられないかね」
 椎野プロデューサーは元新聞記者、まもなく耳よりの情報をもたらした。
 「いましたよ、ナマズが一匹。会ってみますか」
 松山善三氏と私が初めて渋谷の茶席で会ったのは、すでに秋も深く、たてつづけに台風が襲来して、その日も大雨の降る夜だった。松山氏はノートと鉛筆を持って、しげしげと私をながめた。私は、松山という人が非常に真面目に映画をつくろうとしているのがよくわかった。それならば私の方からも力をかりたい。
 「ポリオとのたたかいが終わったという映画は困るんです。たたかいの第一段階は終わりました。大成功です。しかし、このたたかいは断じてこれだけが目的ではないのです。願いはポリオの根絶です。それが今ならできるからです。このあとの手当を怠って、もし何年かしてまたポリオの流行が起きるなら、今これだけポリオとたたかった意味はゼロになります。そのことを徹底して世論に訴えなければなりません。それは数年かかるでしょうが、その仕事は地味で移り気な放送にはあまり向かないかもしれないのです。映画はそれにふさわしい。あなたのご協力は非常に有効です。世論が燃えつづけてくれるように、その仕事にお力添えいただけますか」
 松山氏はこういった。
 「私のテーマは岸田国士さんの『一人では何もできない。しかしまず一人が始めなければならない』という気持です。で、あなたはその一人だと思うんです。だから私はあなたのすべてを知りたい。そのデーモンを描きたい。しかし私が心配していることは、私は元来ウェットですから、こんな調子で話を聞いていると、あなたに感動してしまうかもしれない。困ったことですな」
 この時のことを、のちに松山氏は「婦人公諭」九月号に次のように書いている。
 「精桿な意志と実行力、野性とでもいうような嗅覚力、本能とでもいえるような決断力の早さ、機関銃の弾丸のように飛び出してくる明快であふれるような会話、なまなかなデリカシイなど無用の長物と感じさせる男、こんな男らしい男を私はかつて見たことがなかった」
 こんなにほめられたのは照れくさい限りだが、正直うれしい。その夜まさしく、私は同志をえた思いで真剣にぶちまくった。松山氏は黙ってメモをとった。何回か二人は会い、松山氏はまた克明に取材を重ねた。
 映画シナリオ「われ一粒の麦なれど」はニカ月して完成した。シナリオの中の主人公は坂田昌義、三十九歳の農省の課長さん。作者によれば、上田哲の中から特殊性を全部取り去った、平凡人のモデルだという。平凡な中でも一番平凡なサラリーマンは役人で、それも今回は厚生省ではいけない。農林省をもじって農省の課長を設定したという。上田哲は二人に分割されて、もう一人の分身は熊谷格、二十八歳という放送記者になった。ストーリーはこの平凡な二人に、家族や恋人やそしてポリオの大流行、ワクチンの奪い合い、陳情などという騒々しい社会現象が絡みこみ、いつの間にか坂田は気狂いのようになって生ワクチン一斉投与のために奮闘する。やがて政府は一三〇〇万人生ワクチン緊急投与に踏み切る。ストーリーの中に古井前厚生大臣も出演をする。松山善三夫人高峰秀子さんも、ポリオの弟をかかえた女医さんとしての出演が決まった。生ワクチンは見事にポリオの火を消すが、本来の仕事は放ったらかしでポリオばかりに首を突込んだ坂田は、秋田の山奥の営林署に左遷させられて、煙を吐く汽車でたったひとり赴任するシーンで、この映画は終わる。
 
 このシナリオについて、松山氏と私の間に論争が起こった。
 その部分はこうだ。生ワクチンがポリオの流行を押えた後、転勤間際の坂田(小林桂樹)の役所へ、女医の根本倫子(高峰秀子)の弟で、ポリオで足の動かない根本二郎(大辻伺郎)が車椅子で訪ねてくる。
 倫子「一郎さんがどうしてもあなたに会いたいと云うものですから・・・・・・・」
 坂田「しばらくでした」
 二郎「坂田さん、あなたは勝ちました。生ワクチンを全国の子供達に飲ませてあなたは嬉しかったでしょう。僕はあの時反対しました。そして今でも反対です」
 坂田「何故です」
 二郎「僕は知っています。生ワクチンの人体実験には少なくても二年という時間がいるのです。その時間を無視して投与が行なわれました。それを発明したカナダ、アメリカでさえまだやらなかったというのに・・・・・・・それが何を意味するかあなたはわかっていますか・・・・・・・ヒューマニズムに名をかりた、人間の命の軽視です・・・・・・・政府もそしてあなた方も気狂いだ」
 坂田「馬鹿なことを云うもんじゃない。たしかに生ワクチンは日本の予供達を救ったんだ」
 二郎「そうです、九九人をね」
 坂田「生ワクチンを飲んだために小児マヒにかかったという例は一件もない。それは事実だ」
 二郎「政府もあなたも一件もなかった、と云いたいでしょう・・・・・・・今や日本中にポリオウイルスがうじゃうじゃはんらんしています。それはあなたや政府がまき散らしたのです・・・・・・・坂田さん、あなたはウイルスの里帰りということを知っていますか? 日本中にまかれたウイルスがいつどんなところで猛烈なウィルスに変化して現われるか、誰もそれを絶無だと云い切れる人はいないでしょう」
 坂田「・・・・・・・」
 二郎「あなたにはわからない。それにかかった僕たちの本当の苦しみは」
 坂田「あなたは私に何をいいにきたんです」
 二郎「あなたは勝ったのではない。勝ったのは子供たち自身ということをあなたにいいにきたのです。それからもうひとつ、生ワクチンに無理やりにこぎつけたポリオキャンペーンがまぐれ当りだということをいいにきたのです。そしてもし、あなたがきてくれるなら御案内したいところがあるのです。見ていただきたいところが」
 この後一同が板橋整肢療護園に行く。萎えた足、動かぬ手の子供たちに、母親が玉のような汗をかきながらマッサージをしている。
 二郎「坂田さん、あなたはヒルコを知っていますか」
 坂田「ヒルコ?」
 二郎「ヒルコと云うのは古事記に出てくるイザナギ、イザナミのミコトの間に初めて生まれた子供です。この子は今でいえば脳性小児マヒの子供だったのです。手足がぐにゃぐにゃ、言語障害もあったと云われています・・・・・・・その子は生まれるとすぐに海に捨てられました・・・・・・・ここにいる子供達は現代のヒルコです」
 坂田「私にはもう何も云うことがありません。ひとつだけ聞かせて下さい。二七年間一歩も外に出たことがないあなたが私一人をこらしめるために」
 二郎「違います。僕はあなたのような人に会いたかった。あなたのような気狂いに・・・・・・・あなたのような人がもしこの子たちのために何かしてやろうと考えてくれたら、そう思ったのです・・・・・・・僕はいつでも安楽死のことを考えます。ただ息をしているだけでは生きていることにはならないのです。それならヒルコのように海に流して殺してくれた方が良い。この子たちもいつかみんなそう思うでしょう。僕達はこの手で何かを作り社会に生きる一人だという誇りを持ちたいのです」
 坂田「・・・・・・・・・」
 二郎「日本国中の手足の不自由な人達が全部集まって村や町を作り、できないながらも何かを生産する・・・・・・・。そういう村をあなたのような人に作ってほしかったのです。そんな仕事は気狂いと呼ばれる人でなければできないと思います」
 その時、坂田のすぐ前で一人の少年がばったり倒れる。坂田はおもわず駆け寄って手をかそうとする。「放っときなさい」と二郎が叫ぶ。
 二郎「自分の力で立たせるのです・・・・・・・。坊や力を出せ」
 奇怪な姿態をみせながら少年は必死に起き上ろうとする。それは正視に耐えない無惨な姿だ。
 少年の足がやっと大地を踏みしめる。そして静かに上体を上げる。その顔は意外に美しく笑っている。激しい感動が坂田の胸にこみあげる。
 坂田「私は見ておれない。行きましょう」
 坂田、先に立って今度は坂田が二郎の車を押していく。
 二郎「坂田さん、僕はこれから銀座へ行きます。一人であの通りを歩いてみせます・・・・・・・。僕にも何かやれるような気がしてきた」 
 (次の場面はおでん屋。坂田と平岡教授が飲んでいる)
 平岡「その人のいうとおりだ。最も科学的でなければならない医者がカンで生ワクチン投与を踏み切った。医者の怠慢は責められなければならないね。少なくとも僕は反省している・・・・・・・。しかしね坂田さん、生ワクチンが日本の子供達を救ったという事実、これは間違いじゃない。もし生ワクチンがなかったら少なくとも五千人の患者が出て、日本国中るつぼのような騒ぎになったでしょう。そうなった時、やはり生ワクチンが同じような形で登場したでしょう。溺れるものはわらをもつかむようにね。あなたのやったことは本当は日本の子供達を救ったんですよ」
 坂田「そうでしょうか」
 
 私の意見はこうだ。
 「シナリオにはポリオと脳性小児マヒとの混同がみられる。また、ポリオ自身についてのデータも必ずしも正確でない。ウィルスの里帰り人体実験などという言葉は整理すべきものだ。シナリオ全体でみれば、作者の意図としては、生ワクチン緊急一斉投与の社会的意義を十分に認めてくれているのがうれしい。しかしどうしても議論をおこさなければならないのは、この生ワクチン投与について、われわれの側にあった信念についての描き方である。キャンペーン側が、生ワクチンによっても一〇〇人に一人の犠牲者が出ることを予想しながら、それに目をつぶって一斉投与に突き進んだという見方は基本的に事実でない」
 作者の反論はこうだ。
 「いうまでもないことだが、私としては生ワクチン一斉投与の大きな意義と、そしてそれを可能にした一粒の麦の気狂いじみた努力を、何より尊いと評価している。しかしここで私がいいたいのは、それを全部肯定した上で、しかも人間の善意が解決しえない部分があることや、ヒューマニズムの限界ということだ。生ワクチンは多くの予供を救ったが、その生ワクチンによって被害者になった子もいるのではないか。それを政府も学者も記者もマヒ協も知らなかったはずはないといいたかったのだ」
 「松山さん、人間が科学の限界のかなたに、過失の怖れをいだくべきだということはよくわかります。科学が一〇〇%だと思っても九九%であることはありうる。しかし科学の立場で完壁に一〇〇%と信じておこなつたのに、結果的に九九%になった場合と、科学自身もはじめから九九%だと知りながらおこなう場合とは、ハッキリ区別されていい。その意味で作中の平岡教授に、カンで生ワクチンの投与にふみきった、といわせているのは間違いだと思います」
 「学者の中に、科学者としての最大の確信をもって生ワクチンに踏み切った人がいるのをよく知っています。しかし、最後までそうした確信にいたるだけのデータを持ち合わせず、政治に引きずられて迎合した部分もあったでしょう。私はここではそれを許したくないのです。私はあのセリフで学問全体にもっと潔癖さを要求したかったのですよ」
 「それは同感です。しかし確信をもつ側が、確信をもてない側を押し包んで、学界全体としての結論を急いだということが、ともかくポリオに勝つことにはなったのです」
 「そのとおりです。しかもたたかいは大勝利だ。これは見事ですよ。ただ私は、勝ったから全部がよかったと映画ではいわないつもりなんですよ」
 「それはいい。それはいいが、このポリオ騒動の中に影絵のように動いた多くの登場人物、その中ですぐれた確信を抱いて真剣にたたかいきった群像の描写や評価が損われることは忍びないという気がする」
 「ヒルコの出現については、学問の共同の責任ではありませんか?」
 「ヒルコが出るかもしれないと思った人もいる。それでもしようがないと考えたのが政治の踏み切りでしょう。しかし学問的なツメとしては、絶対にヒルコが出ないことを確信した人たちがいたのです。それは決してまぐれ当たりではない。必然の推定であり成果であった。だからこの人たちの目標は決して三十六年夏の流行阻止ではなく、数年後の根絶なのです」
 「そのとおりですね。だから私は、人間がポリオの根絶という絶対に向かって努力をしていくデモーニッシュな努力や情熱を非常に尊いと思うのです。それがこの映画の主題であります。だがそこにひとりのヒルコがありうるという問題を対立させていくのもまた、私のテーマでもあるのですよ」
 「文学の領域として、その問題の立て方を私も理解はします。あなたの文学は問題をえぐる。私の方はその問題を克服していかねばならん。この場合ヒルコに責任を負ってくれるのは神ではないんですからね。少なくとも今、日本中の予供たちの腸の中に存在する生ワクチンウィルスが、将来どのような影響をもたらしていくか。私はそれを追及していく責任者の一人です」
 「まさにその通りです。それはしっかりがんばって下さいよ」
 シナリオはこの作家自身の手によって、それ以後何回も推敲が重ねられた。しかし松山氏は、ヒルコの出現という仮定をどうしてもゆずらなかった。もっともそれ以上に映画の製作にはさらに多くの障害があった。
 制作側はセミドキュメント形式を主張し、全部セットなしで、現実のNHKの内部を舞台にして撮影したい希望であったが、NHK側はこれをうけつけなかった。
 しかもクランクイン寸前まできて、この映画は無期延期命令にぶつかった。内容があまりに固く、娯楽性に乏しいというのが理由であった。二人の論争もそのままにならざるをえなかった。
 
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