沢崎さんの生活 Life of Mr. Sawasaki

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沢崎さんの生活
戦争の末期、終戦からの困難時代、そして今日に至る十数年、身体強健な者でも言語に絶した生活を、小児マヒによる身体障害の身で貧しいながらも強く生き抜いてきた沢崎さんは、いま大雪山の麓、上川町、大雪営林署の木材輸送監視所で元気に働いている。
3歳のとき発病したという沢崎さんは身体障害者特有の暗い陰など全くみられない。沢崎さんの話では「母は私の不自由な体の責任を感じてかほかの子供たちに負けないようにと随分はげましてくれました」と語っていたが、沢崎さん自身もまた友達から「きみは片手がないから遊ばないよ」といわれるたびに「ぼくはちゃんと手があるぞ」とブラブラの右手をまくり上げて追いまわしたということだ。お母さんは訓練の意味もあったのか、模型飛行機の製作と珠算をよくやらせたという。小学校時代から勉強も模型飛行機も喧嘩も負けたことがなかったそうだが、運動会のとき、右手が利かないためスピードがおち負けたときのことを余程くやしかったとみえて力説していた。こんなときお母さんは「せめてこの子の右腕さえ・・・・・」と、ひと知れず悩み続けたに違いない。沢崎さんの少年時代の思い出はつきないが、小学校を終えて、もの思う頃から沢崎さんの苦闘が始まった。少年時代の純真な気持ちのままでは社会は受け入れてくれなかったのだ。恋愛、就職、結婚などすべてが大きな壁だったが、沢崎さんは歯を喰いしばって頑張り抜いた。今は木材トラックのひた走る国道筋の1軒屋で1家5人で楽しく暮らしている。臨時工の沢崎さんは、すぐれた手腕をかわれ、近く常用工に昇格するそうだ。