短くても深い日韓里親交流

짧지만 깊은 일한의 가정 위탁 교류

Short and Deep Exchange of Foster Care between Japan and Korea by Nakagane Shoji

 

 

日韓フォスターケアフォーラム実行委員会事務局長

北海道・えべつ男女共同参画社会をめざす会副代表

中兼正次(北海道、なかがねしょうじ)

  일한 가정 위탁·포럼 실행 위원회 사무국장

     에페쓰남녀 공동 참가 사회를 목표로 하는 회  부대표

 나가가네쇼우지(홋카이도)

日韓フォスターケアフォーラム2008東京

2008126日(土10:30-16:30日本財団会議室

일한 가정 위탁(수양부모 )포럼 2008도쿄

2008 12 6 ()10:30-16:30일본 재단 회의실

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1 日韓の温度差

 

 皆さん、本日はお忙しいところを起こしいただきまして、どうも有り難うございます。私の話はあちこち飛びますが、多めにみてください。

 

 当初、韓国フォスターケア協会からは、朴英淑(パク・ヨンスク)会長お一人をお招きする予定でしたが、急遽、国際部長の朴世瑛(パク・セヨン)さんにも駆けつけていただき、大変喜んでおります。

 

 私は3年前、韓国フォスターケア協会のセミナーへのお招きで、初めて韓国を訪れました。ソウルで驚いたことの一つは、20世紀前半の日本の占領の傷跡ではありません。遺跡をまわっていて、「この建物の大半は、400年前の豊臣秀吉の朝鮮出兵のときに焼かれてしまい、これしか残っておりません。」というような説明が、数多く見られたことです。

 豊臣秀吉は、日本では、貧しい百姓の子に生まれ、数十カ国に分かれて戦っていた日本を苦労して統一した、立身出世の英雄です。それが韓国からみると、祖国を踏みにじった極悪人であり、マイナスイメージとしての日本の象徴なのでしょう。

 外国人との付き合い方について書かれた日本の本には、よく、「政治と宗教の話題を出すと、誤解を招くことがあるので、避けるように。」と書かれています。しかし私は、「予備知識を得ること」、「謙虚に学ぶ姿勢」と「批判しないこと」を前提条件として、政治や宗教について話し合うことは、必要なことだと思います。

 文字に残る日本の歴史は、女王卑弥呼以来約2,000年です。韓国はもう少し長いでしょう。その2,000年のほとんどの間、色々な面で、日本にとって中国は親であり、韓国は兄か姉というような存在であったと考えています。機械翻訳をしてみると、英語からよりも韓国語からの方が、自然な日本語になります。

 

2 私の日韓史

 

 韓国についての私の一番古い記憶は、北海道の農家である私の父が、大きな風呂敷を担いだ行商の男性から、服を買ったというものです。父は、「あまり欲しくはないが、朝鮮人には付き合わないと」、と言いました。1960年代後半のことです。当時は、富山の薬売りや金魚売りも行商に来ました。

 それから、1973年、朴大統領の政治的ライバルの金大中氏が、東京のホテルで拉致され、韓国に連れもどされた事件。韓国は何となく怖い国だと感じました。

 私の妻は韓国が好きで、何度か訪れたことがありましたが、こう言いました。「韓国のお嬢さんの話し方は、とても上品で優しくて、柔らかいんだよ。」 私の韓国に対するイメージが混乱しました。

 20年前、韓国系のパクさんという、アメリカのハーバード大学卒業の才媛と仕事をしたことがあります。彼女は友人から、「韓国と日本は仲が悪いことで有名なのに、どうして日本になんか行くの?」と聞かれ、こう答えたそうです。「韓国のおばあさんから、日本人は悪いこともしたけれど、本当は良い人たちだと、聞いているからだよ。」

 私は学生時代、フィリピンに留学しました。あちらの親しい友達から、ある時聞かれました。「どうして日本はフィリピンを占領したの?」 私は高校で習った知識を総動員して答えました、欧米が東アジアを分割して占領していく間に、日本も出て行かざるを得なくなったこと。日本は欧米によるABCD包囲陣という経済封鎖で、資源を輸入できなくなり、やむを得ず東南アジアを占領してしまったこと。しかし、目の前の友達に納得してもらうことはできませんでした。占領された国からみれば、欧米と日本という列強同士の縄張り争いでしかなく、そんなものはどこかよそでやってくれ、ということです。

 日本のことについて色々聞かれても、ほとんど答えられなかった私は、帰国後、日本や宗教について書かれた本をたくさん読みました。そして分かりました。いかに日本が身勝手で無謀であったかを。「日本だけが悪いわけではない。」 それは欧米には言えても、占領した先のフィリピンや中国、韓国に、言えることではないのです。

 本屋さんに行ってみると、韓国についての本がたくさん並んでいます。日本はもともと先進国の韓国から学ぶことが多かったこと。35年間日本が厳しく占領したこと。第二次世界大戦の頃、多くの人を連れてきて道路やトンネルの建設、炭鉱など、危険で汚い仕事にこきつかい、多くの方が亡くなったこと。

 私は母に、「昔朝鮮人が近くにいなかったかい?」と聞いてみました。「近くの農家に朝鮮人の男がいたよ。どこかから逃げてきて、警察に見つかったらつかまるから、隠れて働いていた。その農家は自分の娘を嫁にやると言ったので、一生懸命だった。でも、戦争が終わって朝鮮に帰るときには、結婚の話はなかったことにされて、すごく怒ったよ。いつも、「朝鮮、朝鮮とパカにするな、と言っていたよ。」」

 50年くらい前、「日本プロレスの父」と呼ばれる「力道山」(りきどうざん)というプロレスラーがいました。彼は体が大きなアメリカ人を空手チョップでなぎ倒し、第二次世界大戦で自信を失っていた日本人に、自信を回復させた「日本の英雄」でした。でも彼は、1963年に亡くなるまで、朝鮮半島北部の出身者であることを、息子にも隠していました。

 日本と韓国や北朝鮮との間で、政治的な関係が悪化すると、在日韓国・朝鮮人の女子高生が、地下鉄でチマチョゴリをナイフで切られるといった事件が起こります。残念ながら今年もそんな事件が新聞に載っていました。そういう日本人こそ、韓国に行って友達を作れば、そんなことはやめるでしょう。

 いろいろ見聞きするうちに、私の中の韓国のイメージがだんだん良くなってきました。

 

 最近ようやく、日韓の距離が近くなってきました。2002年ワールドカップ・サッカーでは、日本と韓国が激しい誘致合戦を繰り広げました。「それなら一緒に開いて、仲良くしなさい。」ということで、半分ずつの同時開催になりました。その結果、日本も韓国も決勝リーグに残り、お互いを応援し合い、仲が良くなりました。

 次に関係を近くしたのは、韓流ドラマのブームです。ストーリーがダイナミックにぶっ飛んでいます。2003年からの「冬のソナタ」では、ヒロインのユジンが、ミニョンとサンヒョクの2人の男の間を行ったり来たりしているのに、男たちはライバル意識を持つでもなく、3人が3人とも、お互いをいたわり会っていて、誰も傷ついていないのです。こんな「よろめきし放題」なチェ・ジウは、多くの日本人女性にとっても、うらやましかったのではないでしょうか。

 「オールイン」、「チャングムの誓い」、「ファン・ジニ」などは、息もつかせぬ面白さでした。時代劇で100人もの俳優が馬にまたがって戦うシーンは、今の日本では無理な撮影です。足に怪我をした女性を男性が背負って走るシーンは韓流ドラマの定番ですが、これも今の日本人俳優には難しいでしょう。

 

 ということで、そろそろ本題の里親の話題に入ります。

 

3 日韓交流この3年

                        

 私と妻は、里親登録を受けて間もなく20年になります。実子の娘が一人いて、今日も実行委員の一人として、頑張ってくれています。里子はほとんどが短期で、合計13人です。

 2001年、札幌で全国里親大会があり、全米里親会長のコラ・ホワイトさんとお知り合いになりました。翌年の夏休み、我が家の2人プラス1人の中二の女の子3人だけで、ホワイトさんとその近くの里親家庭に、1カ月間ホームステイに出しました。

 20058月、そのウイスコンシン州で、IFCOの世界里親大会があるというので、夫婦で参加しました。参加者は日本人6名を含む約350名で、私も「日本の里親ワークショップ(分科会)」を開きました。今日お招きしたパク・ヨンスクさんと、当時の会長のカン・スンウォンさんとは、そこで初めてお会いしました。

 世界大会は、全て英語で進められるので、内容が一部しか理解できないのと、ワークショップ(分科会)が約80もあって、全体的につかみどころがなく、分かりにくいと思いました。東アジアからの参加は、日本の6名と韓国の2名、モンゴルの2名だけでした。私の分科会とカン会長の発表を合わせて、日韓の共通性が分かりました。韓国の皆さんは、会場に並べられていた英文の里親の参考書を、30冊くらい買い集めて、持ち帰っていました。

 

 アメリカから帰国して1カ月後、カン会長からメールをいただきました。「今年、IFCOアジア地区大会を韓国で開こうと予定していたけれど、準備不足なので、とりあえず日韓だけで開きたい。日本から何人か連れてきてほしい。」、という招待状でした。全国里親会の佐野理事、研究者として「養子と里親を考える会」の菊地緑先生から紹介していただいた津崎先生などと、3年前の11月、ソウルに5人で出かけました。日韓里親セミナーの参加者は約80名で、同時通訳がついていて、力の入り方に驚きました。私が、日本には里親傷害保険制度があるという話をしたせいかどうか分かりませんが、その2カ月後、韓国でも里親賠傷害保険制度を始めました。

 翌20069月、韓国は、アイルランドのヘンダーソンIFCO会長を加えた、12カ国350名を集めて、2日間に渡る盛大なアジア大会を開きました。私は全国里親会と協力してあちこちに案内状を送り、日本人参加者が21名に増えました。韓国人も外国人も、参加費わずか20ドル(約2,300円)で、会場のユースホステルに2泊と、3日分の食事を支給という、大盤振る舞いでした。韓国政府からの補助金と、民間会社からの寄付金を集めて、実現したものでした。

 韓国語と英語の間の同時通訳がありました。私は発表原稿を逐次メールで送ってもらいました。約1カ月かけて、機械翻訳を使って、英語や韓国語から日本語に翻訳し、韓国にメールで返送しました。約20本の原稿のうち11本で時間切れになりましたが、最後の日本語原稿を韓国に返したのは、大会3日前でした。それが、当日会場に行ってみると、韓国語、英語のものと並んで日本語のレジメが分厚い冊子になっていて、感激しました。

 ついでに、参加者が交代で日本語原稿の読み上げすることにして、通訳ブースを貸してもらいました。すると2日目、アメリカ在住18年という千葉県の里親さん、真野祐幸(まのひろゆき)先生が、いつの間にか英語と日本語の間で、見事な同時通訳を始めてしまい、驚きました。

 韓国フォスターケア協会の建物は5階建てのビル一棟。パク会長が子供たちを引き取るために私費をはたいて建設したもので、一部寄付金があったとはいえ、驚きです。20人が宿泊が可能な研修所も兼ねているそうです。

 そのアジア大会の前の月、20068月、津崎先生が関西の里親さん3名を連れて、テグ市を訪問され、日韓里親セミナーを開かれました。そして昨年、今度はテグ市から京都に5人をお招きし、2日間びっしり、交流が行われました。

 

4 韓国44年遅れのスタートダッシュ

 

 今回は、東京を中心とする何人かの方たちと、北海道江別市の「えべつ男女共同参画社会をめざす会」に相談し、東京と北海道の2カ所でフォーラムを開くことになりました。

 今から2カ月前、カン前会長ほか4名の方に北海道に来ていただき、約40名が参加して、フォーラムを開きました。そのとき聞いたのですが、カン前会長は大学3年生のとき、1910年の日韓併合とは何だったのかを理解するため、韓国とは逆の立場の日本の本を読んでみようと一念発起し、日本に出張されるお父様に岩波文庫をたくさん買ってきてもらって、日本語を勉強されたとのことです。お父様は、「日本人を悪く思ってはいけない。」と口癖のように言っておられるそうです。

 ということで、最近日本まで来てくださる韓国人は、日本人のことをよくご存じだからでしょう。日本人に良い印象をお持ちのようです。間接的にしか日本を知らない方は、何となく付き合いにくい国だと感じているのでは、と思います。

 

 日本の全国里親会のあり方をどうするか、大きな議論となっており、厚生労働省も本気になって改革にとりくんでおられる今、一つでも良いから、韓国からヒントをいただけないものかと期待しています。

 第二次世界大戦後の経済的混乱から日本が脱出するきっかけになったものに、1950年から3年間続いた朝鮮戦争での特需がありました。日本が経済成長した分、韓国は遅れたのです。韓国は軍事政権が続き、政治的に安定してきたのはあの金大中氏が大統領になられた1997年、今から11年前からと言えるかもしれません。

 だとすれば、「韓国の戦後」は、日本の約50年遅れと言えるのではないでしょうか。日本の全国里親会は、日本政府の全面的な支援のもとに、今から54年前の1954年(昭和29年)に立ち上げられました。韓国フォスターケア協会は、政府の支援がない中で自ら立ち上がり、今年満10周年です。日本より44年遅れのスタートではありますが、そのスタートダッシュは見事でした。協会の大変立派なホームページを3年前に発見した私は、「すごい」と思いました。日本の全国里親会のホームページは今年の春に開設されたばかりです。

 

 パク・ヨンスクさんは、13年前の1995年、韓国に里親制度が全く未整備の中で、家庭を持たない子どもを見るに見かねて、自ら里親となって受けいれるとともに、周りの人たちにも里子として斡旋を始めました。

 その2年後の1997年、金大中大統領誕生の年、タイを震源として、アジア経済危機が始まりました。日本でもその年、北海道拓殖銀行や山一證券が経営破綻しましたが、韓国のダメージは日本よりも相当大きかったようで、捨て子が相次いだそうです。パク・ヨンスクさんは、個人での里親事業の継続は無理と判断。1998年に韓国フォスターケア協会を設立し、里親制度の充実をマスコミに訴え続けました。

 制度の急激な変化を望まない政府と、里親制度が広がれば経営難になるであろう施設からの反発が相当大きかったようですが、それらを全てはね返し、マスコミに露出し、里親制度の重要性を訴え続け、ついには児童福祉法を改正させ、里親制度を公式なものにしてしまいました。

 

 こうして、日本でも3年前から、韓国で里親制度が発展しているらしいという噂が広がりました。でも、今日ご参加の皆さんの中には、こう思われる方がいらっしゃると思います。「韓国で里子の数が増えていると言っても、ほとんどが親族里親だそうではないか。実親が育てられない子どもを親戚が育てるのはあたりまえであり、親族里親はもともと必要ないのだ。」

 

 では、親族里親を除いた一般の里親はどうでしょうか。表をご覧ください。日本の人口は昨年12,780万人。韓国は4,850万人です。韓国の数字を、人口比に合わせて、2.635倍してみます。すると、一般の里子の人数は、日本の3,055人に対して、韓国は1,238人×2.635倍で3,262人。ほとんど同じになります。では、親族里親の里子ではどうでしょうか。日本の369人に対して、韓国は14,962人×2.635倍で39,425人。韓国は日本の実に107倍になります。つまり韓国は日本よりも44年遅れでスタートして、一般の里子の数で日本に追いつき、親族里親の里子の数では日本をずっと先を行っていると言えないでしょうか。

 

   表:日韓の里子人数の人口比補正比較

 

 

    日本

               J

   韓国

              K

 韓国×2.64   K2

(韓国K2/日本J

  面積

 

     377,835km²

 

  98,480km²

 

 256,000km²

68%)

  人口

 

 

    127,800千人

     2007)

(韓国の2.635倍)

 48,500千人

  (2007年)

 

127,800千人

100%)

 

里親委託児童数

 

      3,424

 

   16,200

 

   42,687

1,247%)

 

日:親族

       369

      

    39,425

10,684%)

韓:代理・親戚

      

    14,962

日:養育・短期・専門

       3,055

     

    3,262

107%)

韓:一般

       

     1,238

 人口:厚生労働省http://www.stat.go.jp/data/sekai/02.htm#02-03

  里親委託児童数〜 日本=H19年度末(2007.3) 韓国=2007

 

5 韓国から「熱い勢い」をもらいたい

 

 パク会長のレジメを機械翻訳していて、活動の中に、「第1回おばさんマラソン・市民歩け歩け大会」という、面白そうなイベントを見つけました。パク会長は、韓国の映画監督とも親しく、会の活動の中に撮影現場の見学も多いです。そこで私は、「ヨン様とのお散歩ツアー」、「イ・ビョンホンと走ろう、第一回おじさんマラソン」や、「チャングムに持病を直してもらうツアー」、はたまた「ファン・ジニから鶴の舞を習うツアー」の企画を、パク会長にお願いしたいと思います。

  今回の二人のパクさんの原稿を読んでいて、気がついたことがあります。日韓とも、ごく最近まで子どもをアメリカに国際養子に出していたこと、家の血筋を重んじる血統主義が強いこと、活動内容に似た部分が多いことです。隣りにあって、同じような悩みを持ち、それぞれ別々に試行錯誤した結果、いつの間にか同じことをしていたのではないでしょうか。何だか、幼い頃に別々の里親家庭に預けられていた兄弟が、ようやくめぐり合ったかのようです。

 

 もうひとつ、何度か日本人から聞いた話です。「フィリピンやタイとか、まだ里親会もないような国の話を聞いても、日本にとってメリットがないのではないか。

 でも、韓国の皆さんに感じるのは、「まだ経済的に貧しく、里親制度どころではない、日韓以外のアジアの仲間、兄弟たちのお世話をしなければ」という、温かい思いやりです。「日本よりもお姉さんの国」といった感じです。ただし、日本よりも里親の年齢が、10歳くらい若いような気がします。

 

 一昨年の韓国アジア大会で、私は各国の参加者から、「次は日本で開いてもらえないかなあ?」という熱いまなざしを感じましたが、実現は「日暮れて道遠し」ですので、視線を合わせないようにしていました。

 あまり知られていませんが、アジア大会は一昨年の韓国が初めてではありません。韓国でパクさんが止むにやまれず協会を作られた年、1998年に、フィリピンで一度開かれています。「第一回アジア太平洋地域里親会議」は3日間で、参加国はイギリス(IFCO会長の女性)、アメリカ、カナダ、ノルウェー、オーストラリア、ニュージーランド、フィリピン、ベトナム、インドネシア、日本の10ヶ国でした。日本からは、全国里親会の渥美(あつみ)会長夫妻、庄司順一(しょうじじゅんいち)先生、大谷リツ子(おおたにりつこ)先生ご夫妻と里親さんたちの10名でした。

 もしパクさんが、そのフィリピン・アジア大会のことを伝え聞き、参加されていれば、この10年間の苦労の一部は、避けて通れたかもしれません。そうした場があれば、日韓以外にも、自分の国でも里親制度ができるかも、という勇気を与えられるところが出てくるかもしれません。

 フィリピンと韓国はもうやり通しました。必ずしも物価が高い日本で開くのがベストとは限りません。経済的に立ち遅れたアジアの兄弟の国々に里親制度を紹介し、情報交換の場を設けるため、日本が何らかの関与をしていくべきではないでしょうか。

 

 実行委員会の皆さんの協力もいただきましたが、私はこの1年間、日本財団の助成金申請手続き、チラシやホームページ作り、韓国との英文メールの往復などで、毎晩多くの時間を費やしてきました。参加料も同時通訳の国際会議としては破格の安さにしました。

これを続けてきたのは、「韓国の人たちの熱い勢いを、日本の皆さんにぜひ紹介しなければ。」という気持ちのためです。

 北海道の私にできることは、この程度ですが、相当大変でした。次はどなたか、別の方にやっていただきたいと思います。恵まれない子どもに家庭を与えることと、全く同じです。問題に気がついた人がやらなければ、誰もやらないでしょう。

 

 本日は、もしかしたら、日韓の活動が全く同じと分かり、特に目新しいものが見つからないかもしれません。それでも、韓国のお二人から、「熱い勢い」だけはおすそ分けしてもらって、お帰りください。ありがとうございました。

 

  <1> 韓国の類型別家庭委託児童の現況 (韓国保健福祉部統計)

 年度

代理委託

親戚委託

一般養育委託

 

 所帯数

児童数

所帯数

 児童数

 所帯数

児童数

所帯数

 児童数

2000

1,307

1,772

27

39

1,166

1,584

114

149

2001

3,246

4,425

810

1,170

2,195

2,931

241

324

2002

3,985

5,577

1,249

1,796

2,453

3,387

283

394

2003

5,313

7,565

2,315

3,458

2,563

3,541

435

566

2004

7,169

10,198

3,450

5,196

3,057

4,133

662

869

2005

9,350

13,315

5,295

7,877

3,253

4,296

802

1,042

2006

10,186

14,434

6,244

9,190

3,014

4,065

928

1,179

2007

11,622

16,200

6,975

10,112

3,651

4,850

996

1,238

 

日韓フォスターケアフォーラム2008 http://www.geocities.jp/hokukaido/jkforum/

アジア子供の権利と里子養育会議2006イン・ソウル(第1回アジア里親大会)

http://www.geocities.jp/hokukaido/satooya/seoul2006/

韓国フォスターケア(里親)協会(KFCA)サイト http://www.ngopower.net/